寒さが深まるこの時期、塾帰りの子どもたちの足取りや、参考書を抱えた親子連れの姿が街の風景の一部になります。受験生のカバンには合格祈願のお守り、テレビCMは受験生を応援する塾の宣伝、週末ごとに行われる模試─。多くの家庭が、緊張と期待の入り混じった空気の中で日々を過ごしています。
子どもの頑張りを支えながら、親もまた不安や希望を抱え、心のどこかに特別な時間が流れるのが受験期です。そうした季節が巡ってくると、ふと、ある光景が思い起ます。
東京都在住のSさんの息子が中学受験に踏み出したのは、小学3年生の冬でした。まだランドセルの似合う幼さが残していた息子が、教科書を詰め込んだ大きなリュックを背負い、夜の校舎へ吸い込まれていく後ろ姿を思い出すと、今でも胸の奥がじんわりと熱くなります。
平日の通塾は週3回。冬の冷たい風を切って自転車を走らせた夜、コンビニの明かりだけが妙に頼もしく感じた帰り道。週末は早起きして塾弁の準備に追われ、慌ただしさのなかで「頑張ってね」と声をかけるものの、その一言にどれほどの願いと焦りが詰まっていたか、今ならよくわかります。
特に忘れられないのは、月に一度のクラス分けテストです。1週間前から家の空気が少し重たくなり、当日の朝は妙な沈黙が流れる。息子が玄関で靴紐を結ぶ後ろ姿に「ここまでやってきたのだから大丈夫」と言い聞かせながら、内心は「どうかクラスが下がりませんように」と祈るような気持ちでした。
しかし現実は、思い描いたようにはいきませんでした。家族総出で勉強を応援し、努力を積み重ねても、成績は思うように伸びない。テストから帰ってくる息子に優しく声をかけるつもりが、つい厳しい言葉に変わってしまい、自己嫌悪に陥る夜も数え切れませんでした。
ある光景が思い出されるのは、熱望していた第一志望の学校の近くを通ったときに目に入る在校生の姿でした。伝統的な学ラン、硬派なイメージのその制服を着る息子をずっと想像していました。その制服とすれ違うたびに、今でも胸が締め付けられるような感覚が走ります。
「あの制服を息子にも着させてあげたかった」 「どうして、うはずなかったのだろう」
合格発表の日、パソコンの前で深く息を吸い、現実をのみ込むしかなかった瞬間が鮮明によみがえります。あれほど頑張っていた息子の後ろ姿を思うと、今でも言葉にならない感情が胸に広がります。
この感覚は道端に突然現れる影のように、予告なく迫ってきます。受験から一年が過ぎた今でも、通塾路を自転車で通るだけで、テスト前、自転車の後ろに乗せている息子に、必死に励ましという名の指示を送っていた自分の声が、妙に生々しく蘇ってきます。
「戻ってやり直せるなら」 「でも、もう戻りたくない」
矛盾する二つの思いが同時に押し寄せます。
息子は新しい生活にすぐ馴染み、友達をつくり、学校の景色に溶け込んでいきます。グレーのジャケットにチェックのスラックス、すっかり息子のお気に入りのようです。ところが、親の心だけがあの冬に取り残されたまま、時間が止まってしまうことがあります。
夕方の買い物帰りに、塾のカバンを背負った小学生の集団を見かけるだけで、胸の奥がざわつき、模試の日の朝の緊張や、夜遅い帰宅に寄り添った道のりが一気に蘇ります。
あの頃の全てが今の自分を「試す」かのように、思い出となって押し寄せてくるのです。苦しい記憶ばかり浮かびますが、それは決して後悔や恥ではなく、わが子の成長に寄り添った証なのかもしれません。とはいえ、胸に残った小さな痛みが完全に癒えるまでには、もう少し時間が必要だと感じています。
受験が終わっても、心の中には静かに疼き続ける記憶があります。その痛みを抱えながらも、わが子の今を見つめる親の姿こそ、受験を支え抜いた確かな証なのだと思います。
子どもの頑張りを支えながら、親もまた不安や希望を抱え、心のどこかに特別な時間が流れるのが受験期です。そうした季節が巡ってくると、ふと、ある光景が思い起ます。
東京都在住のSさんの息子が中学受験に踏み出したのは、小学3年生の冬でした。まだランドセルの似合う幼さが残していた息子が、教科書を詰め込んだ大きなリュックを背負い、夜の校舎へ吸い込まれていく後ろ姿を思い出すと、今でも胸の奥がじんわりと熱くなります。
平日の通塾は週3回。冬の冷たい風を切って自転車を走らせた夜、コンビニの明かりだけが妙に頼もしく感じた帰り道。週末は早起きして塾弁の準備に追われ、慌ただしさのなかで「頑張ってね」と声をかけるものの、その一言にどれほどの願いと焦りが詰まっていたか、今ならよくわかります。
特に忘れられないのは、月に一度のクラス分けテストです。1週間前から家の空気が少し重たくなり、当日の朝は妙な沈黙が流れる。息子が玄関で靴紐を結ぶ後ろ姿に「ここまでやってきたのだから大丈夫」と言い聞かせながら、内心は「どうかクラスが下がりませんように」と祈るような気持ちでした。
しかし現実は、思い描いたようにはいきませんでした。家族総出で勉強を応援し、努力を積み重ねても、成績は思うように伸びない。テストから帰ってくる息子に優しく声をかけるつもりが、つい厳しい言葉に変わってしまい、自己嫌悪に陥る夜も数え切れませんでした。
ある光景が思い出されるのは、熱望していた第一志望の学校の近くを通ったときに目に入る在校生の姿でした。伝統的な学ラン、硬派なイメージのその制服を着る息子をずっと想像していました。その制服とすれ違うたびに、今でも胸が締め付けられるような感覚が走ります。
「あの制服を息子にも着させてあげたかった」 「どうして、うはずなかったのだろう」
合格発表の日、パソコンの前で深く息を吸い、現実をのみ込むしかなかった瞬間が鮮明によみがえります。あれほど頑張っていた息子の後ろ姿を思うと、今でも言葉にならない感情が胸に広がります。
この感覚は道端に突然現れる影のように、予告なく迫ってきます。受験から一年が過ぎた今でも、通塾路を自転車で通るだけで、テスト前、自転車の後ろに乗せている息子に、必死に励ましという名の指示を送っていた自分の声が、妙に生々しく蘇ってきます。
「戻ってやり直せるなら」 「でも、もう戻りたくない」
矛盾する二つの思いが同時に押し寄せます。
息子は新しい生活にすぐ馴染み、友達をつくり、学校の景色に溶け込んでいきます。グレーのジャケットにチェックのスラックス、すっかり息子のお気に入りのようです。ところが、親の心だけがあの冬に取り残されたまま、時間が止まってしまうことがあります。
夕方の買い物帰りに、塾のカバンを背負った小学生の集団を見かけるだけで、胸の奥がざわつき、模試の日の朝の緊張や、夜遅い帰宅に寄り添った道のりが一気に蘇ります。
あの頃の全てが今の自分を「試す」かのように、思い出となって押し寄せてくるのです。苦しい記憶ばかり浮かびますが、それは決して後悔や恥ではなく、わが子の成長に寄り添った証なのかもしれません。とはいえ、胸に残った小さな痛みが完全に癒えるまでには、もう少し時間が必要だと感じています。
受験が終わっても、心の中には静かに疼き続ける記憶があります。その痛みを抱えながらも、わが子の今を見つめる親の姿こそ、受験を支え抜いた確かな証なのだと思います。