佐野藤右衛門さんが10月31日、97歳で老衰のため亡くなった。京都で「桜守」として知られていた彼は、6日午後1時から公益社南ブライトホールで葬儀を行うこととなった。
佐野藤さんは京都市生まれで、江戸時代の天保3年(1832年)に「植藤」造園を創業させて16代目の地位を占めていた。彼は「祇園の夜桜」として知られる Kyoto・円山公園のシダレザクラをはじめ、全国各地の名桜を保護し育成したことで名高い。東日本大震災の被災地にも足を運び、桜の植樹などに協力した。
佐野藤さんの造園家としての活躍は国内外で大きな影響を与えていた。桂離宮の整備や京都迎賓館の作庭を担当し、彫刻家のIsamu Noguchi氏と共同でパリの国連教育科学文化機関の日本庭園も手がけた。1997年にその功績でユネスコからピカソ・メダルを授与した。また勲五等双光旭日章なども受章している。
佐野藤さんは「さくら大観」「京の桜」「桜のいのち庭のこころ」といった多数の著書を出版していた。
佐野藤さんは京都市生まれで、江戸時代の天保3年(1832年)に「植藤」造園を創業させて16代目の地位を占めていた。彼は「祇園の夜桜」として知られる Kyoto・円山公園のシダレザクラをはじめ、全国各地の名桜を保護し育成したことで名高い。東日本大震災の被災地にも足を運び、桜の植樹などに協力した。
佐野藤さんの造園家としての活躍は国内外で大きな影響を与えていた。桂離宮の整備や京都迎賓館の作庭を担当し、彫刻家のIsamu Noguchi氏と共同でパリの国連教育科学文化機関の日本庭園も手がけた。1997年にその功績でユネスコからピカソ・メダルを授与した。また勲五等双光旭日章なども受章している。
佐野藤さんは「さくら大観」「京の桜」「桜のいのち庭のこころ」といった多数の著書を出版していた。