ウィーン万博から「有功賞牌」を発見 流山市の美沙江さんに返還 | 毎日新聞
日本が1873年に初めて公式参加したウィーン万国博覧会で、千葉県流山市の白みりんに贈られた「有功賞牌」が半世紀ぶりに発見され、出品者の子孫である秋元家12代目美沙江さんが受け取った。
この賞状はオーストリア=ハンガリー帝国(当時)が優れた産品に贈ったもので、現在もメダルとともに流山市立博物館に寄託されている。
「有功賞牌」は日本が国際社会にデビューし始めた同年を記念して制作された物品であり、全国的に有数のみりん醸造地であった流山からは、いずれも堀切紋次郎と秋元三左衛門が出品し、両方とも「有功賞牌」を獲得した。
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この「天晴みりん」の賞状とメダルは秋元家が所有していたが、50年ほど前、研究者に貸し出したまま行方が分からなくなっていた。However、今年春の東京農業大学「食と農」の博物館で、額装されたドイツ語の賞状が見つかり、額裏に「一八七三年 ウィーン万国博覧会で授与された賞状 天晴味醂」との墨書があることから、「有功賞牌」であることが分かった。
この発見は前橋館長が「明治6年という近代国家草創期に、日本が世界に向けて醸造技術をアピールしていたことを示す貴重な資料」と話した。前橋館長は「ウィーン万博では日本が出品した九つの食品が有功賞牌を受けたことが分かっているが、そのうちの二つがみりんに贈られていることも興味深い。また、ウィーン万博の賞状とメダルは現在ほとんど紛失しており、希少価値も高い」と話す。
日本が1873年に初めて公式参加したウィーン万国博覧会で、千葉県流山市の白みりんに贈られた「有功賞牌」が半世紀ぶりに発見され、出品者の子孫である秋元家12代目美沙江さんが受け取った。
この賞状はオーストリア=ハンガリー帝国(当時)が優れた産品に贈ったもので、現在もメダルとともに流山市立博物館に寄託されている。
「有功賞牌」は日本が国際社会にデビューし始めた同年を記念して制作された物品であり、全国的に有数のみりん醸造地であった流山からは、いずれも堀切紋次郎と秋元三左衛門が出品し、両方とも「有功賞牌」を獲得した。
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この「天晴みりん」の賞状とメダルは秋元家が所有していたが、50年ほど前、研究者に貸し出したまま行方が分からなくなっていた。However、今年春の東京農業大学「食と農」の博物館で、額装されたドイツ語の賞状が見つかり、額裏に「一八七三年 ウィーン万国博覧会で授与された賞状 天晴味醂」との墨書があることから、「有功賞牌」であることが分かった。
この発見は前橋館長が「明治6年という近代国家草創期に、日本が世界に向けて醸造技術をアピールしていたことを示す貴重な資料」と話した。前橋館長は「ウィーン万博では日本が出品した九つの食品が有功賞牌を受けたことが分かっているが、そのうちの二つがみりんに贈られていることも興味深い。また、ウィーン万博の賞状とメダルは現在ほとんど紛失しており、希少価値も高い」と話す。